"80's"の良心

今月初頭なのでもう2週間ほど経ってるんだけど、最近amazonで注文していた「めぞん一刻」のサントラが届いた。もうすっかり自分の中で「めぞん一刻」熱が冷めていた頃だ。

この辺、amazonの対応の悪さというか、ちょっと面倒だなあと感じた。予約購入と一緒に注文するとそれ以外のも同時に配達しようとするのはどうなの?と思ったが、今回のテーマから外れるので言及なし。
当時のOPやEDが収録されているんだが、どれもこれもが心を打ち、佳曲ぞろいだ。正直80年代の音楽(洋邦問わず)は軽い、というか、浮ついた印象・偏見があって慎重に避けてきたんだが、やはり名曲は時代を問わず生まれてくるものなのだ。
特にピカソがいい。

シ・ネ・マ

ファンタジー


たとえば僕はオフコースやチューリップが好きでよく聞いていたんだが、80年ごろを境にサウンドがどぎつくなってきていて、「好きな時期」「嫌いな時期」というのがある。おそらく録音やシンセサイザーなどの機材の進歩によるものなんだろうけど、「過剰な演出」が鼻につく、という感じで、好きになれなかった。
ピカソも、当時のいわゆる<ニューミュージック>的な位置にある音楽なんだろうけど、すっと耳になじむ音だ。音作りは当時の他のミュージシャンとさほど変わらないんだろうけど、無闇に音数を増やさず、類を見ないストイックさが感じられる。


詩の世界作りにも注目したい。


見知らぬ街の通り雨 あの日の君は
濡れたヒールを 気にしてた
幼さかくした横顔 いつか交わした
言葉を 今も 思い出せる


PICASSO「シ・ネ・マ」


別れの歌の中で、二人の日々を回想する、という割と当たり前の表現のはずだが、別れの歌といえば「別れるの?行っちゃうの?サビシイ!」というものしかない昨今のポップス事情からすると隔世の感がある。
歌詞に限らず、そもそも「詩」というものは、たとえば「好き」を「好き」と書かずに表現するものなのだ。<いつか見た風景><懐かしいにおい>、そういうものが面前に立ち現れる瞬間、われわれは自らの情動に揺り動かされる。それを言葉の形によって表現することこそが「歌」のもつ力だと思うのだが…
そういう"良心"というべきものが、80年代にも生まれていたということが、発見であった。


君が 微笑う度
僕は 優しくなる


PICASSO「ファンタジー


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