「パーマネント野ばら」

サイバラ作品に通底してあるテーマは、「女って素晴らしい」というところだろうか。
毎日かあさん」は「自分が母親であることを殊更に自慢する話」だし、「ぼくんち」も、エピソードの中心やオチをつけるのはだいたいお姉さんやお母さんなどの女性だからだ。
出てくる女性女性がもんのすごい強い印象があるが、「上京ものがたり」をのぞけばこれといったサクセスストーリー的なものはなく、自立しようとすればできそうだけど、いわゆる手垢にまみれた「自立した女性」のようなものとは対極的にあるような登場人物ばかりだ。どちらかといえば「底辺に生きる人々の群像劇」という作品群で、「厳しい言い方ばかりしかしないけど心根がやさしく情に厚い」という西原理恵子像が反映している(と思っているのは僕だけ?)。
男性はといえば、薬まみれ貧乏まみれ、犯罪すれすれかずばり犯罪を繰り返す奴ばかりで、女には迷惑ばかりかけるが、女はその男を笑い飛ばしたり、時々きついお灸をすえたりして、なんとか飼い慣らしてしまう。こんな話で、「なんだか男って女に頭が上がらないんだなぁ」と思ってしまう。
「パーマネント野ばら」には女性ばかりがでてきて、男性に目立った登場人物はいないが、そんな登場人物もキレっぷりのすさまじい人ばかり。浮気を繰り返す旦那の臓物ぶちまけて、結局元の鞘におさまる(どころか招き猫並におとなしくしてしまう)マグロ食堂の女将や、店のホステスに手を出した旦那を車で追い回して轢き、大ケガをさせて、やっぱり大笑いで元の鞘に収まるフィリピンパブのママなど、まあ似たような人ばかりだ。
そんな中では、主人公の美容院の店員の女性は、まともそうな印象を与えるが、彼女の抱えているものが最後の方で(読者に)暴かれても、日常は全然変わらず、当たり前の日々が流れていく。みんながみんな、少しずつ問題を抱えていても、お互いにそれを受け容れあって、なんとか日々をやっていく姿。
派手さはないけど、丁寧に紡がれる物語に、「人間てなんだろうなぁ」と思いを巡らせてしまうのだ。

「みっちゃん、わたし くるってる?」
「そんなんやったら この街の女はみんな 狂うとる
 …これからは わたしもあんたも 好きにさせてもらお」

パーマネント野ばら

パーマネント野ばら