「美しい国」=「くさいモノには蓋をしろ」?

http://www.asahi.com/edu/news/TKY200611290420.html
教育再生会議って、極東第三帝国再生会議だろ……常識的に考えて - umeten's blog

教育”再生”会議というくらいだから、「教育はダメになった」という前提で考えている、ということでいいんだよね。しかし、こっちの印象としては、教育は「ダメになった」というよりは、(経済)社会が変化していっているのに「ちっとも変わっていない」という方が適当なのではないか、という気がするんだが。「変化している」なかに「変わらない」ものがあったら、そりゃ相対的に「ダメ」に見えるかもしれないが、それで「よい状態に戻そう」というのはないんじゃないかと思う。
もちろん教育が変わってこなかったことになんら問題がないわけじゃない。時代にあった人間形成というのは、考えていき、考え続けるべきなんだろうけど、「教育は国家の百年の計」(誰がいったかは忘れた)という言葉からも、「国家による国民の精神の統制事業」という側面が教育にはあるのだから、教育にまつわる様々な事象は、その国家(あるいは社会)の合わせ鏡であり、「教育が(相対的に)ダメだ」ということは、その国家(あるいは社会)が(相対的に?)ダメだということになる。
そもそもこういう類の会議は、臨教審のあたりから、教育学の専門家ではない、いわゆる「識者」といわれる、ある分野で功績があった人たちが大半を占めるようになっている(会長はノーベル賞受賞者だしね)。こういうことは単なる会議の権威付けにしか思えないし、だいたい「専門家は信用できない。えらい俺たちが何とかしてやろう」という魂胆が見え見えで笑える。いや、笑えない。
「学校教育はダメダメだ」という前提で話すんじゃなく、もっと現場を信用してみるとか、学校教育と経済社会との接続のあり方をもっと緩やかにするとか、ほかにやるべきことはたくさんあると思うが。この辺は余裕があったらまた書きたいと思っている。