「歌謡曲の歌詞は映画的、J−POPの歌詞はブログ的」

というようなことを阿久悠氏が言っていて、なるほどなー、と思ったよ。

「通・歌謡曲 歌詞篇」 (2007.07)


素人が書くものと比較しちゃいけないと思うけど、僕がバンドで歌作ってた時意識していたことは、「映画を撮るように書くこと」だった。浮かんだモチーフを、余計な説明を施さずに展開させるように書くイメージ。そして、歌詞が「うまく書けたなー」と思った時は、最初に浮かんだモチーフをうまく広げられた、と感じた時だった。変に「書きたいこと」にこだわらず、モチーフに導かれるように世界観を構築できた、という意味で。
たとえば誰、とは言わないけど、ていうか誰のものって特定できるわけじゃないけど、最近の歌の歌詞って変に描かれる情景が具体的すぎて感情移入できない、ってのはあるなあ、と思う。「あなたの(特定の)思い出なんて知ったこっちゃないですよ」という感じ。この辺、半田健人氏がうまく言ってるけど、たくさんの人が惹きこまれるものっていうのは、「どの人のイマジネーションも許容してしまうもの」なんだろうなあ。
その点で、表現者というのは表現する者でありながら、「自己」を表現しすぎない、そういうストイックさが必要なんだろう。



それにしても半田健人という人物、なんの前情報もなければ、ホンマモンの評論家さんに見えるゾ。こういう人こそミュージシャンになったりしたら面白いんだけどなあ。

「通・歌謡曲 オケ・編曲家篇」