The Boxer

中学生でギターを覚えた。おじが使わなくなったものを譲り受けたんである。
鉄の弦に指を切りそうになりながら、なんとかセーハ*1で音が出るようになった。


隣のお姉さんが教えてくれた”Simon & Garfunkel”にその頃夢中になっていたから、その曲をひたすら練習していた。3フィンガー*2なんておっさんくさい技術、そうでもなかったら身につけなかっただろう。


なかでも「The Boxer」はお気に入りの曲で、なんとか弾きとおしたかったのだが、イントロの出だしに出てくるアルペジオの運指が覚えられないし、単純ながら技術的に難しい曲だったので、途中で投げ出してしまっていた。
それでも「April Come She Will」や「Kathy's Song」みたいな易しい曲はレパートリーにできた。
(どこでやってもあまり喜ばれないのが難だが。)


久しぶりに実家に帰ったときに、隣のお姉さんに声を掛けられた。
その家のオヤジは、自分のギターの音がうるさいとかで、よくうちに文句をつけに来たのを覚えている。
そのお姉さんとの取り留めのない話の中で、
「どう、まだギターやってるの?」
という話が出たので、
「いやあ、もう全然。指だってホラ、フニャフニャですよ」
と答えておいた。
実際、もう5年くらい、全然ギターには触っていないし、釘でも打てるんじゃないかというほど硬かった指の腹は、湯がいた豆のように柔らかくなってしまっていた。
「ふーん、でもギター弾いてるキミ、ちょっとカッコよかったのにね」
お姉さんが「天気イイね」ぐらいの軽さで言った。どうせ会話をつなぐために、適当に言ったんだろう、と思う。この人の前で弾いてみせた記憶がないから。
「そうですかね」
と適当に答えておいて、そのときはそれで別れた。


高校にあがっても、大学でも、僕はギターを離さなかった。大学ではバンドでべースだったけど、曲作りのときはギターをかき鳴らした。


本気で音楽をやっていきたかったけど、今は別のことをしている。


だから?いやそれなのに?


もうずいぶん、ギターはおろか、楽器という楽器に一切触っていない。特にこれこれという理由があったわけじゃないけど、なんとなくさわれなかった。


ギターは部屋の中で、様々なものの下敷きになっていた。それらを退けて、埃だらけのケースから取り出すと、弦がさび付いているものの、昔の記憶そのままの形で現れた。チューニングもしていないので、はじくと「ビヨーン」という音しかさせないが、弦を張り替えれば充分に弾ける。
もう一度ギターを弾くことを想像して興奮したところで、なぜ自分がギターを弾けるようになりたかったか思い出したような気がした。
「The Boxer」のあのフレーズ。
何度も何度も聞き返して、幾度となく励まされたあのフレーズを、なんとか自分で唄ってみたくて、一生懸命練習していたんだと。
荒野に立つ「ボクサー」に自分を見立てて、思春期特有の孤独感とか厭世観と戦っていたんだと。
でもそんなところなんかは、今の自分もそんなに変わっていないみたいだ。毎日に振り回され、自分を見失いそうになったり、逃げ出したくなったり。それでもオレ、戦い続けてるし。


「またギター弾くんですよ」
なんて言ったら、あの人はどんな顔するんだろうな。

In his anger and his shame
"I am leaving! I am leaving!"
But the fighter still remains


怒りと恥辱の中で彼は叫ぶ
「僕はやめるぞ もうまっぴらだ」
しかし 戦士は今も戦い続けている
Simon & Garfunkel 「The Boxer」

*1:左人差し指の腹で、6本の弦を同時に押さえること。ギター弾きなら常識。

*2:右の親指・人差し指・中指だけでアルペジオ(分散和音)を鳴らす奏法。ギター弾きなら(略