キルスティンかわいいよキルスティン

といいつつ、「ヴァージン・スーサイズ」でしか見た記憶ないんだが。「スパイダーマン」も見てないし。
それはともかく。個人的には文芸ものっぽいのは「恋するシェイクスピア」以来かなぁと思いつつ、歴史物の枠にとどまらないポップな映像感覚が話題になっている「マリー・アントワネット」。評判に違わず、随所随所にポップス、ロックをちりばめ、中世的重厚さよりは、ファンシーな雰囲気が漂う作品。仮面舞踏会がプロムパーティーみたいってあり得ないし。
結婚後のルイ16世(以下ルイ)とマリーの食事シーンで、横に並んで食事をとっていたのが、「家族ゲーム」を彷彿とさせ、当初いかに互いのコミュニケーションをとるのに苦労していたかを表現していたかどうかはわからない。
ストーリー重視でレビューしていくと、マリーとルイのディスコミュニケーションから、最終的には運命をともにしていくことをお互いに(?)覚悟していくようになるまで、という点が、殊更にではないけど、実は巧妙に描けていると感じた。
二人が結婚した当時、お互いの年齢は中学生か高校に上がるかそれぐらい。当時の同年代が、王族としての責務に耐えうる程度に、今の若者より責任感があったかといえばそうではない。ルイは「錠前づくり」という得体の知れない趣味(プラモデルみたいなもの?)や狩りに夢中だし、マリーは周囲のプレッシャーにそれなりに応えようとはするけれども、そっけないルイの態度にやきもきし、ついつい浪費に走ってしまう。このあたりは、ティーンの感情、行動をリアルに表現している。自分自身を省みれば、同年代の時期に、王宮の慣習に合わせること、跡継ぎの出産にかかるプレッシャーなどにさらされたら、うざいことこの上ない。しかし彼らは、封建的社会の中で、それから逃れることはできなかった。
後半にはいると、マリーの行動やせりふの雰囲気が変わる瞬間がある。どのあたりがターニングポイントかは、鑑賞時は気づかなかったんだが、どうやら長女を出産したあとのことではなかったかと思う。生活はマテリアルなものからオーガニックなものに変わっていくし、自己中心的なところは見えなくなっていく。もちろん、色男と情事を重ねる時期もあるんだが、感覚は家族中心になっていくし、国民の窮状を憂うシーンも一瞬ながらある(それへの反応は全く現実的ではないのだが)。
ルイもいよいよ王に即位した後は、その職責を全うしようとする意欲はあったようだが、これは政治的センスがあまりなかったというしかないのではないだろうか。最終的には家臣の忠告を受け容れるくらいの決断しかできなかった。しかし、その責任を最後は自分ですべてかぶろうとするのだから、それなりの自覚はあったのだろう。
歴史上「ダメ人物」ととらえられ勝ちな二人を、落とすでも持ち上げるでもなく、等身大で描こうとしたのは評価できる。原作ありきではあろうが。


正直世界史は苦手なのだが、アメリカ独立を支援したことが、フランスの市民革命を誘発したことは、皮肉なものだと感じた。