表現者のエゴイズムのようなもの

以前IDの由来を書いたんだが、もちろんバンドもやっていた。
(だからジャズベじゃなくてプレベだってば!!)


実はそのとき作詞作曲も担当していて、オリジナル曲の半分は僕の手によるものだった(まあ、メロディだけ持ってって、アレンジのアイデアはメンバーに任せっきりだったので、迷惑をかけてたのも事実)。
ライブ活動へのお客さんは、アマチュアのそれの例に漏れず、大体が身内だった。それでも、手前味噌ながら、何人か追っかけみたいのもいたし、曲を気に入ってくれて声をかけてくれる人もたくさんいた。


当時アンケート用紙を配っていて、「メンバーに一言!」見たいな欄もあったんだけど、ベースの自分にはあまりもらえなかった。フロントマンに注目が集まるのは世の常。でもやっぱり面白くなかった。
なにより自分が書いた曲に共感してくれているはずなのに、それを「唄ってるだけのやつ」に注目が集まるのが悔しかった。自分の心や痛々しさを晒している人間より、それをちょっときれいな声で唄えるだけのほうがほめてもらえるということが、不公平だと感じた(ぼくは歌が下手だ、付き合いで行ったカラオケで唄ったらよく笑われたっけ)。


そんなんだから、僕が書いた歌は誰の心にも届かなかったのかもしれない。


そのころよく思い出していたエピソード。
サイモン&ガーファンクルの「明日にかける橋」が大ヒットしていたとき、ポール(・サイモン)はそのヒットが理解できなかったらしい。自分が思い通りに作れた歌ではなかったし、アート(・ガーファンクル)の歌声が非常に評判になった曲でもあるから、自分への評価が低いような気がしていからだという。


ライブでこの曲をやるたびに、アートに集まる拍手喝さい。その後ろでポールはいつもこう心でつぶやいていたという。
「どうもありがとう。これは僕が作った曲なんだ。」*1

Bridge Over Troubled Water

Bridge Over Troubled Water

*1:サイモンとガーファンクルー旧友」参考。ずいぶん昔に読んだので、記憶が正確じゃないかもしれない。