空気人形


新宿バルト9。


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原作の業田良家は"端的"なテーマで描き切るという点で優れた作家で、この元々の作品についても無機物に「心」を宿らせることでそのあるがままの美しさのようなものを表現している。本編が含まれた連作は「哲学」と銘打ってはいるが、さながら抒情詩のようなものであった。

ゴーダ哲学堂 (竹書房文庫 GY 8)

ゴーダ哲学堂 (竹書房文庫 GY 8)

そのような表現は、語弊を恐れずに言うのならば「漫画」だからこそできる「強引」な手法であって、かの「自虐の詩」こそ映画化するのに格好の素材といえたが、彼の作品を映像化したい者はいてもそこに困難があるだろうな、というのは想像に難くない。


映画本編は、「空気人形」のモチーフをベースとして、そこからさらにテーマを「深化」させたように思う。それは、気取った言い方をすれば「疎外感」とでもいえるだろうか。
我々はみななにかの一部ではあるが、それは「代替可能な存在」でしかない。というより自分自身がなにかの「代用品」にすぎないのではないか、という疑問を持つことすらある。あらゆるつながりを希薄化させる都市的な生活はわれわれに「孤独にあること」を強いるが、ひとの「心」はそれを意識するたびに、まるで自分が「からっぽ」な存在のような耐えがたさを感じる。すなわち、ひとが「心を持っている」ことは「切ない」こと。


現在の自分の一番柔らかいぐずぐずな部分をぐいぐい押されているような、そんな気分だった。